『坂の上の作家たち ギャラリー島田という絶壁』は2016年にギャラリー島田(神戸市)から出版されました。当「シュプリッターエコー」の編集顧問、山本忠勝(元 神戸新聞文化部記者、2019年没)の美術評論集です。「シュプリッターエコー」に発表された、ギャラリー島田での作品展の評がまとめられています。
この『坂の上の作家たち』で取り上げられている作家たちの作品で構成された展覧会が、現在ギャラリー島田で開催されています(2023年2月18日~3月1日)。
作品のかたわらにはテキストからの抜粋。
たとえば梅田恭子さんの作品のそばに――
梅田の線の一秒には心のありあまるほどの動きがある。
無限の複雑な震えがある。
何層もの心の動きがそこに折り畳まれているのである。
一秒がもう無限に深いのだ。
鴨下葉子さんのそばに――
絵を描き続けるということはたぶん一つの旅である。鴨下葉子もおそらくはまだ少女と呼ばれていたある日、そっと旅に立ったのだ。どこへ行こうとしているのか、むろん周りにはわからなかった。画家が目指す微妙な場所はいつも言葉を超えている。わかると言うほうがむしろ不遜なことなのだ。だが今、彼女のひたむきな、揺るぎのない、半生に及ぶ歩みのおかげで、画家が目指してきた方向だけは、いくらかの確度で見当がつけられそうな気配である。たぶん、そう、彼女はあの気高い地平線に向かっていた。向かっている。向かってきた。最も純度の高いあの抽象の線の場所へ。
そして花と野の画家、中井博子さんに寄り添って――
バラがある。ケシがある。チューリップがある。ヒマワリがある。画廊が花盛りの中にある。だが今年は花の美しさを言い当てるだけではなく、もう一つ、ある微妙なものが言い当ての対象になって絵の中に潜んでいた。潜んでいたとあえて言うのは、その微妙なものはバラやチューリップのように形になって表に出てこないからである。それはいわば花の陰にそっと寄り添うように潜んでいた。
ギャラリー島田の画廊主 島田誠さんは、神戸新聞時代の記事をまとめて書籍化しませんかとたびたび山本に持ちかけていたといいます。
山本はそれについては固辞しつづけました。
新聞記事というのは読者が紙面をめくるそのわずかなひとときに、その目をとらえ、精神を発火させることを目的として書かれたもの、そしてそのあとではもうすぐに捨てられる。書籍の形にして繰り返し読まれるようなものではないと山本は考えていたのです。
ですがこの「シュプリッターエコー」上に公開した記事に関しては、ウェブサイトというものの特性上残りつづけるものであり、書籍化の申し出を受けました。
本ができたのはそのような経緯です。
さて、タイトルの「坂」とは、ギャラリー島田のあるハンター坂のことです。
では、サブタイトル「ギャラリー島田という絶壁」の「絶壁」とは?
「希望と断念の絶壁が……」
「破滅と紙一重の頂上で制作に打ち込んでいる作家たちの群像が……」
そんな言葉で表現される絶壁の意味を、もしこの本をお手にとることがあればお確かめになってください。
坂の上の作家たち展で掲示されている記事の引用もとはそれぞれ――
武内ヒロクニの部屋「ダホメイ・ダンス」 ―― 神々の高らかな哄笑
中井博子展「花の贈り物」 A happiness of flower
そして島田誠さんの著作『絵に生きる 絵を生きる ――五人の作家の力』の紹介記事。
島田誠著「絵に生きる 絵を生きる」 ―― 画商と画家…遭遇、そして対峙と透過
山本 貴士