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金沢景子モダンダンス作品「一本の樹の物語」

雪にならいて、鳥にならいて 

また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。

吉田兼好『徒然草』第243段

踊りを教えてくれるのは一体だれなのでしょう。
今夜、深く感動的な舞台を上演したこの金沢景子さんという舞踊家であれば、藤田佳代さんという先生がいます。
藤田さんは五十年近くにわたり優れた作品を発表し続け、またカンパニーの主宰として後進たちを育ててきました。
では藤田佳代さんに踊りを教えたのは?
藤田さんには法喜聖二さんという先生がいます。教育舞踊の普及に努めた人です。
そしてその法喜さんにもきっと先生がいて、直接・間接に師弟の関係が連なり、それはいったいだれに行きつくのでしょうか。
最後に行きつく踊りの師、それはたぶん、空から降る雪、自由に飛ぶ鳥、その鳥をのせて運ぶ風なのでしょう。
私たちはあのように軽やかに宙を舞い、高く飛びまわりたいと、空へ空へと枝を伸ばす一本の樹のように懸命に腕を伸ばす。
そこに踊りが生まれる。
そしてまた、その鳥も風も雪も決して一度きりの師というわけではなく、舞踊家がその道の果てをみきわめたいと遠くまで歩んだとき、再び出会われる師なのかもしれません。
そのとき踊りは、その永遠の師のもとでその瞬間瞬間に生まれるものとなる――金沢景子さんが振り付けて踊った「一本の樹の物語」とは、そのような作品でした。

金沢さんによって振り付けられた――ですがこの舞台で起きたのは、その振り付けをなぞって踊られたというのとは、まるで別の事態でした。
いま次々と新しく生まれる踊りに、踊り手とともに立ち会っている、それはそんな出来事でした。とりわけ第一のパートから第三のパートにかけ、静謐に縷々とつづく、尽きせぬ豊饒さ。
最後の四つ目のパートは出演者全員によって踊られましたが、これは今回が最後のリサイタルだという金沢さんの一つの感慨、あるいは感謝の表現であったかもしれません。いってみればそのような意図がその場を導いていました。
しかしその意味では第一から第三のパートではほとんど何も「表現」されていなかったといっていい。
それはそれほどに純粋な踊りでした。

第一のパート「時は無し ひとひらの雪と 戯れて」の冒頭――

あ、雪がひとひら舞った……
そちらを振り向く。
あ、またあそこにひとひら……
そしてそちらを……

ひとつの身体を取り巻くある力の働きがあり、その身体がそれに応答する。
そこに、無限に繰り返されてきた所作、しかしそのひとつの身体との関係においてはただ一回きりの所作が生まれ、その永遠性と一回性のはざまで、それは限りなく美しい所作となる。
(私たちの日常的な所作が「美しく」ないとすれば、それはこの永遠性への参照がないからにほかなりません。)
これはだから素朴なしぐさがそのまま踊りになるというような話ではありません。素朴さと純粋さとは、芸術においてはまるきり反対の概念といっていいものです。
金沢さんが今夜、無限あるいは永遠の相に触れたかのようにおそるべき一回性を実現し、その所作のひとつひとつにおいて踊りが生まれ直すような瞬間を私たちの前に出現させたとしたら、それを支えていたのは、この舞踊家の長年にわたる、ほとんど人生そのものといっていい身体の鍛錬と精神の深化の結果です。

とても美しい紫の衣装でした。腕を広げるとその袖は小さな翼のよう。
それは飛ぶことへの憧れそのもののような、どこかかわいらしくさえある小さな翼でした。
しかし踊る姿は、ときにひとりの孤独な鬼のようでした。その張りつめた決意が、強く胸に迫る瞬間が何度もあったのです。
それは踊りの道をきわめようとする身体を、踊りの精または鬼神が借りるものでしょうか。
一種の神の顕現に私たちは立ち会ったのでしょうか。
ところが第三のパートの終わりでは、その鬼が祈りのしぐさをみせるのです。
鳥と舞うものたちに、私をこの道の果ての果てへと連れていってくださいと、こんなに遠くまで歩いて来た鬼が、なおも祈るのです。

いまようやく、鳥と舞い、風と踊るものたちの沈黙の言葉に耳を傾けることができるようになり、その言葉に応じる術を知った、しかしいまだ自分は鳥にもなれず、風にもなれず、空に枝を伸ばしつづける一本の樹だ――と、それが金沢さんの実感なのかもしれません。
としても、それこそが舞踊の道への心からの誠実さというべきものでしょう。
カンパニーの主催としては金沢さんの最後の公演だといいます。
それは引退という意味ではなく、パンフレットには「明日という未知の世界で、感動を表現し続けたい」とあります。力強い希望の言葉です。
金沢さんは地中深くに根を下ろし、いまや決して倒れることのない樹です。そのような一本の樹として、なおも高く、遠く、その枝を伸ばしていくにちがいありません。

 

※   ※   ※

 

「一本の樹の物語」(金沢景子作舞・出演)は「ささやく」(藤田佳代作舞、再演)とともに「藤田佳代舞踊研究所モダンダンス公演 金沢景子モダンダンスステージVI」で上演された(2023年11月25日、神戸ファッション美術館オルビスホール)。
音楽は舞台奥に並ぶ演奏家たちによって演奏され、緊張感そしてグルーヴ感にみちた舞台を実現させた。小場真由美(ピアノ)・稲澤笑亀(尺八)・市瀬由紀(フルート)・本倉信平(チェロ)・長谷川耕司(フレームドラム)。それぞれが各パートを作曲。

山本貴士

 

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