石井一男

Maya

山本忠勝

 ブッダがどんな顔だったか、ほんとうはだれも知らない。仏教はもともと偶像を禁じていた。だからブッダ入滅の五百年後に最初の仏像が作られたとき、それはまず想像から生み出され、やがて少しずつ形を深めて今のいわば「空(くう)」の相貌に成熟した。イエスの顔もほんとうはだれも知らない。基本的にはブッダと同じことである。ともに遥か彼方へ失われてしまった顔なのだ。だがそれらはなんと高貴に再生されたことだろう。人びとの心にはおそらく聖性のイメージを汲み上げる堅固で深い水系が潜んでいる。
 画家・石井一男は今なおその聖なる水系と強固につながっている幻視者だ。六十代の今に至るまでひたすら女性の顔に打ち込んできた。だがモデルがあったわけではない。現代を生きるにはあまりに傷つきやすいこの画家は、たぶんあからさまにモデルを見つめることができないし、いわんやモデルから見つめられることにも耐えられない。感じやすい目にとって人間の目は最も残酷な剣である。彼が安心できるのは、世俗の視線が届かない世界、すなわち彼じしんの深部である。完璧な意味での内視者…。そしてその深部こそ、白毫(びゃくごう)を額に持つ覚者のあの穏やかな顔が、イバラの冠に宿命をしるしたあの聖なる顔が、ゆっくりと浮かび出てきたその同じ潭水(たんすい)域なのだ。
 釈迦の瞑想像が、あるいはキリストの磔刑(たっけい)像が、今日のあの超越的な姿にまで熟するには、おそらく数百年の時を要したはずである。その気の遠くなるような時間のことを考えると、石井が究極の女性像に至るのに人生の大半を費やしてしまったにせよ、それはまだ幸運なことだろう。約束のない探求のなかで、ともかく遂に至ったのだから。
 2007年・晩夏。
 画家が無題のまま展示したこの肖像は、むしろ日付をタイトルとするのがふさわしい(石井一男個展 2007年9月1日―12日、神戸・ギャラリー島田)。その日付で革命が、この画家の革命が起こったからだ。憂愁? 悔恨? 愛惜? 諦念? 希求? これほどおびただしい言葉を含み、含みながらすべての言葉をこんなに超越した顔が、これまでにどれほどあったろう。まさしく革命とは、すべての言葉を一気に超えることである。
 むろん技術も劇的に深まった。和紙の上にグワッシュで焦げ茶と黒を丁寧に下塗りする。そして、なんと、それをクシャッと潰すのだ。すると複雑に広がる皺に沿ってあたかも無意識の層が浮き出るように、下の色が微妙な色合いで現れる。そうして、その底からの呼びかけと呼応しながら、女の顔のまず暗い部分が整えられ、そして最後に頬や鼻の明るみが闇から滲み上がってくるのである。
 寡黙な画家が絵の前でポツリと言った。
 「いまから考えると、むかし思っていたひとに似ているような…」
 おそらくは画家のなかでいつしか永遠の精神へと成熟を遂げたその女性。
 さて、石井が制作に没頭してきたこの神戸は、近代に誕生した都市にもかかわらずブッダの母の名を冠した高貴な山を背骨に持つ。その地勢にちなんでマヤ(摩耶)と呼ぼうか。

 

摩耶  2007.9.6  Tadakatsu Yamamoto

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